開催報告(第86回)

エイダ・ラブレス
  〜バイロンの娘、世界初のプログラマー〜

講師 : 鎌田 直子
日時 : 2014年4月18日
会場 : 7th Cafe (中区栄・ナディアパーク7階)


Ada(エイダ)……1974年からアメリカ国防省の要請により開発されたプログラム言語の名前です。このプラグラム言語の名前は、英国詩人バイロンの娘であり、世界初のコンピュータプログラマーと言われているAda Lovelace(エイダ・ラブレス)にちなんで名付けられました。エイダは当時の女性としては珍しく、数学などの科学の教育を受けて育ちました。彼女は科学に限らず、興味を持ったことに対して大きな情熱を持って取り組んでいきます。しかし、彼女は著名な詩人の娘であったにもかかわらず、むしろそれゆえにおだやかな人生を送れなかったようです。今回のサイエンスカフェでは、そんなエイダの人生をたどってみました。

エイダの主な業績は、「解析機関」に関する解説書の英訳と、解説書本文よりも長い注釈です。「解析機関」とは、19世紀半ばに考案された、蒸気機関で動く機械式汎用コンピュータのことです(Wikipediaより)。解析機関自体は実現しませんでしたが、彼女の注釈に書かれていたベルヌーイ数を求めるプログラムが解析機関の特徴をとらえた複雑なものであったことから、世界初のコンピュータープログラマーと呼ばれることになりました。

エイダは科学が大好きな好奇心あふれる女性のようですが、 彼女の周りにいる人たちはとても個性的だったようです。女性関係が華やかで破天荒な父バイロン。厳格な母アナベラは、エイダをバイロンのようにさせないため厳しく教育し、通常の淑女教育に加えて数学などの学問を奨励したようです。そのような状況でエイダは母親とその友人から厳しく干渉され、実生活では色々と苦悩があったようです。

今回のサイエンスカフェでは、当時の医学の状況や貴族の結婚などに加えて、 女性の状況などもご紹介しました。当時、女性は寡婦になるまでは、ほとんど自由がなかったようです。例えば、エイダと親交があった有名な女性科学者メアリー・サマーヴィルは、寡婦になるまで勉強したくてもさせてもらえなかった状況のようでした。エイダは実生活では色々苦労があり、36歳でがんの痛みの中なくなります。しかし、当時の女性にしては特別の教育をうけ、興味あるものにストレートに飛び込んでいける状況にあったことは幸せであったのかも知れないと思いました。

鎌田 直子(名古屋市立大学大学院システム自然科学研究科)

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