開催報告(第137回)

無限の淵に見えるもの

講師:田中 豪 氏(名古屋市立大学准教授 / 専門:画像処理,色覚バリアフリー化色変換)
日時 : 2018年11月16日(金)
会場 : 7th Cafe (中区栄・ナディアパーク7階)

「無限」には日常的な直観が通用しないことがあります。それがおもしろいところであり、難しいところであります。「全体は部分より大きい」ことは日常的な直観(有限の世界)では当然のことであり、それゆえにユークリッドの「原論」でも公理にとりあげられています。名古屋市は愛知県の一部であり、愛知県の人口(全体)は名古屋市の人口(部分)より多いですね。それでは無限の場合はどうでしょうか。偶数(2, 4, 6, …)は自然数(1, 2, 3, 4, 5, 6, …)の一部であり、自然数(全体)は偶数(部分)より多いように思われます。しかし、自然数をnとしたとき、偶数を2nと表せるように、自然数1, 2, 3, …に偶数2, 4, 6, …を対応させて考えると、両者は「同じだけある」と考えることができます。無限では「部分は全体に等しい」ことがあるということです。自然数と偶数のように、二つの無限集合の要素が過不足なく対応するとき、濃度が等しいといいます。

整数(…, -2, -1, 0, 1, 2, …)と自然数も対応がとれ、濃度が等しいことが示せます。更に、有理数(分数の全体)と自然数も濃度が等しくなります。実数まで数の範囲を広げると自然数との対応がとれず、実数の方が自然数よりも多い(濃度が大きい)ことが示せます。自然数の濃度をℵ0、実数の濃度をℵで表しますが、上記のことはℵ0<ℵと書けます。ここで、「ℵ0とℵの間に中間の大きさをもつ濃度は存在するか」という問いを考えることができ、「そのような濃度は存在しない」という主張を連続体仮説といいます。連続体とは実数のことです。後の研究により、現在の標準的な数学の枠組み(ZFC集合論)の下では、連続体仮説は肯定・否定のどちらも証明できない命題であることが分かります。

肯定・否定のどちらとしてもよい命題としては、原論の第5公準「直線外の1点を通ってこの直線に平行な直線はちょうど1本だけ存在する」があります。この仮定の下で展開されるのがユークリッド幾何学であり、それは歪みのない空間における図形の性質を調べるものです。第5公準を否定して展開される非ユークリッド幾何学は、歪んだ空間における図形の性質を調べるものです。第5公準の肯定・否定から導かれる複数の幾何学は、(ゴールキーパー以外は)手を使ってはいけないサッカーと使ってもよいラグビーのように、ルールが異なる複数のスポーツにたとえると分かりやすいかもしれません。どちらもボールを相手ゴールに運ぶ(図形の性質を調べる)ことを目的していますが、ルール(公理・公準)が異なることにより、試合展開(理論の内容)が異なります。

ユークリッド・非ユークリッド幾何学になぞらえて考えると、「ZFC集合論+連続体仮説を肯定」した数学と「ZFC集合論+連続体仮説を否定」した数学のどちらも意味のあるものといえますが、ゲーデルは異なる解決を目指していました。それは、連続体仮説(の否定)が証明できないZFC集合論には不備があるのであり、もっとよい公理系を選ぶことで連続体仮説(の否定)が証明できるようにするというものです。一見、解決を他のものに押し付けているだけのようにも見えます(そういうご質問もありました)が、その意義をスポーツのルール整備にたとえることでご説明しました。

後半は込み入った話になり、難しかったと思いますが、少なくとも前半は常識をゆさぶるパズルのようで楽しめた……ことを期待しています。中盤での論理パズルの正解率が高かったのは嬉しいことでした。熱心に話を聞いて下さいました参加者の皆様に感謝いたします。


田中 豪(名古屋市立大学大学院システム自然科学研究科)

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