自己紹介

○生まれ

岐阜県大垣市の南端:隣は養老の滝で知られる養老町
この田舎で中学卒業までの幼少年期を過ごした。

○高等学校

東海高校:親元を離れ,名古屋市東区の徳川公園の北にある
早川宅に下宿した。

○大学・大学院

京都大学理学部
科学者を夢み,、湯川秀樹博士にあこがれ(騙され?),京都大学に入学した。
2年後に,化学教室に分属し,3年後に,山本常信教授の量子化学研究室に入り,ここでほぼ10年にわたり修行した(徒弟的生活を送った)。10年の内訳:学部1年,大学院5年,博士浪人(OD)2年,研修員(関西外国語大の常勤)2年
師の山本教授は湯川博士の孫弟子にあたるため,形式上は私は大湯川先生のひ孫弟子ということになる。

○博士浪人(OD)・関西外国語大

ちょうど大学院を終了したころは,academic positionに対する未曾有の就職難の時代であった。博士課程を修了しても,行き所のない者をOD(Over Doctor)と称したが,私はこのODを2年やった。またこのころ結婚したので,2年間いわば”ひも”的生活も体験することになった。
いくつもの紆余曲折の後,関西外大の(一般教育化学担当)の助教授のポストにありつき,はじめての給料を手にした時には30歳を過ぎていた。このころは大阪の近郊、茨木市および高槻市に住んだ。

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