講演要旨全文 です。

自然環境と植物たちの働き
    システム自然科学研究科 教授    谷本 英一

 

○講義内容
1. はじめに・・・環境問題の原点:今年は<通称>「愛知環境万博」の年で、本学でも「環境」をキーワードとした講座がいくつも開かれてます。この第7講座では、環境問題の本質を科学的に取り上げ、グローバルな問題から、名古屋の街や私たちの日常生活に至るまでを多面的かつ科学的に考えます。 一回目の話題は「植物の働き」です。
 まず、「環境」とは何でしょうか?私たち人間を取り囲むものがすべて環境で、野山の風景から街の景観や衣服のデザインに至るまで、目に入るもの全てが環境を構成する要素といえます。しかし、今深刻となりつつある環境問題は、「空気」や「水」や「土」など、意識しないと見えにくい自然環境の問題です。これらは、科学的な計測や予測によって始めて人の眼に認識できるものです。それ故に、これらの解決には、人間が科学的な知識を元に、合理的な対策を立て、長期的・計画的に取り組むことが必要です。だからこそ、科学者達が率先してこれらの問題を指摘し、警告しているのです。
  ここでは、自然の環境要素、「大気」・「水」・「土壌」がどのような問題を抱えていて、それらの改善・保全に植物がどのように関わっているかを考えます。同時に、日本列島の地理を再確認し、植物の繁殖に適した日本の恵まれた気候風土と、それに根ざす日本文化やライフスタイル・食習慣などを再評価する動きにも言及したいと思います。

2.グローバルな視点から、大気・水・土壌を観る 
 地球全体の植物の減少の実態を人工衛星からの情報で解析したデータがあります(資料提供:千葉大学環境リモートセンシング研究センター・本田嘉明先生)。
これによると、熱帯雨林(最も濃い色の部分)の減少が深刻ですが、実はそれ以前に、北半球の先進国の森林が圧倒的に減少してしまっていることにも注目すべきです。マスコミなどで指摘される数値が、最近10年とか20年の森林の減少を取り上げたものが多いが、実は、その遙か100年以上前から北半球の森林は壊滅的に破壊され、農地や工業地帯と化しています。先進工業国である我が国の状況も同様で、信長が馬で駆け回った頃の植物相はもはや痕跡もありません。しかし、諦める必要はありません。お隣の韓国では、50年前の朝鮮戦争で荒廃した山野に国を挙げて植林を実施した結果、現在は世界でもトップクラスの森林保有国になっています。東アジア沿海部は、森林が回復しやすい恵まれた気象条件だからです。また、日本国内でも、高い意識をもった企業や自治体が、持続可能な森(数年間の管理の後は、放置しても自然に持続する森)の育成に成功しています(鎮守の森などの著者で植物生態学者・宮脇昭さん達の活動)。

地球上での日本列島の特徴:夏に雨が多い温帯モンスーン気候。 四季がある。
 → 植物の成長に適している 。多彩な植物種が旺盛に繁殖。
 → +(高温多湿、低温多湿、等)→ 多彩な微生物 → 発酵食品文化
 → 豊富な木材 → 竹材・木材を建材等として利用する文化

次に述べる理由から、森林の減少が大気・水・土壌の環境悪化の要因と考えられます。

3. 植物の多彩な働きを観る
 環境に対する植物の多彩な働きかけを、要約したものが右の図です。
植物は太陽エネルギーだけを利用して、二酸化炭素を吸収し、有機物を合成し、水を蒸散し、熱を吸収し、土壌に有機物を与え、水の浸透を助け、肥沃な土壌を形成する・・・・。等々実に多彩な機能を果たしていることが示されています。
3−1) 二酸化炭素の吸収・固定(光合成)能力の概算
 地球上にはさまざまな植物がそれぞれのペースで生きていますが、全体としてはどの程度の光合成を営んでいるのでしょうか。地球上の生物全体の量(バイオマス)を陸地と海とに分けて推計したものが次の表です。 平均バイオマス(平方メートル当たりの炭素の量)とその全量、および平均純生産量(平方メートル当たりの毎年の増加量)とその毎年の全増加量が炭素の量として順に示されています。
 表の右下の数値が示すように、地球全体で毎年、炭素の量として、732億トンの炭素が大気中から有機物として固定・蓄積されています。この量は、ヒトが化石燃料を燃焼して放出する量の10倍以上です。 このことは、二酸化炭素問題を考える上で重視すべき数値です。

(Plant Physiological Ecology、 Hans Lam bers et al.Springer-Verlag、 New York 1998、 p.505)Original Source、 Schlesinger W.H.(1991) Biogeochemistry: An analysis of global change. Academic Press、 San Diego より抜粋

次の図は、自然界の炭素の循環の概数を示したものです。重要なのは植物の働きが大きいということです。
 大気中の二酸化炭素に含まれる炭素は、7460億トンですが、緑の植物は毎年1000億トンほどを吸収しています。その半分ほどは毎年大気に戻っていきますが、上の表でも分かるように、蓄えられる炭素が500〜700億トンぐらいはあることになります。人類が化石燃料から放出する量は、植物の働きの10%ほどに対応します。植物が10%減る(枯れる)と、毎年化石燃料を2倍燃やすことになるわけです。実際には植物体の炭素(遺体)も朽ちて放出されるので3倍になります。


3−2) 水の循環にも、植物が重要な役割を果たす
   地球は水の惑星といわれるが、 陸上の生物にとってはその1パーセント足らずしか利用できる水はなく、海からの蒸発と陸上の水のわずかな循環に依存している。 このため地上の水を海に流さず蒸散することが内陸の降雨には特に重要である。熱帯雨林のスコールに象徴されるように、植物が蒸発散する水は、上空で冷やされ雨となって帰ってきます。この間熱が上空に運ばれ、地上の冷却にも貢献しています。植物の蒸散機能の一例として、ポプラの若木では、葉の面積1平方メートル当たり毎日1リットルの水を蒸散します。一坪あまりの面積に葉を展開する樹木で、葉面積指数が5程度の木では、葉面積が10平方メートルぐらいになりますから、毎日10リットルの水を蒸散することになります。

3−3)土壌の形成にも植物の成長が必要
    土壌=砂礫+有機物 であることはよく知られています。無機質の砂や粘土に有機物が混ざることによって団粒構造が形成され、さまざまな大きさの空隙が備わった土壌が形成されます。団粒構造を維持した土壌は、サイズの異なる空隙の故に、通気性と保水性という矛盾する性質を備え、さらにミネラルなどの保肥性も高くなります。植物の根の発達が、土壌生物・土壌微生物に養分を供給し、土壌を形成することによって、自らの成長環境を形成する文字通り根幹となります。よく発達した根の例としては、次のような数字があります。 地上50cmあまりの高さのムギの一種は、地上部の葉の面積は5m2ですが、それを支える地中の根は、全長600km、表面積は600m2に達することが報告されています。長大な根から供給される有機物を介して多数の生物が土壌に生息し土壌環境を形成しています。

4.植物は植物ホルモンと環境要因によって姿・形を変えて成長する
  4−1)植物ホルモン:動けない植物は、定着したその場所の環境に最大限適応して生きている。季節や環境の変化に応答するときには、植物ホルモンが重要な働きをしています。その例として、日本で発見されたホルモン・ジベレリンの働きを紹介しましょう。次の図は、キャベツにジベレリンを与えると草丈が高くなることを示したものです。キャベツやダイコンなどのロゼット植物は、茎が極端に短く、晩秋から春にかけて、他の植物が枯れた跡に生息する植物です。厳しい冬をやり過ごすために、地面に張り付いて低い姿勢で春を待つ植物たちです。
 ジベレリンはまた根の形態も調節していることが分かりました。 
 下の図は、レタスの根の横断切片の顕微鏡写真です。A、C、Dは普通のレタスの根で、Bがジベレリンの合成を抑制する薬品(Ancymidol)を与えたために太った根です。ジベレリンが不足すると根は太るらしいのです。ダイコン、ニンジン、タンポポなどのロゼット植物は太い根を持っていることに対応します。タマネギが太るのもジベレリンの量が少ないことと対応しています。 

 4−2)水分と根の成長
 植物の根は、湿度(水分)の状態で大きく変化します。乾燥に強いカモジグサの一種は、水分が不足しているときは地下深く根を伸ばします。水分不足の時は地下150cm 以上の根系を発達させますが,水が十分あるときは70 cm 程度です。


 4−3)根の治療による街路樹の修復:街の樹木でも、根の成長を育むことによって、衰えた樹勢を回復した例が、樹木医の方々によって報告されています。
下の写真は、その例です。このような、古来からの技術と生理学的な理論を組み合わせた試みによって、樹勢の衰えた銘木を再生させることもできるのです。 資料提供・樹木医・多賀正明氏(オーク・TAGA、oaktagaアッとマークd1.dion.ne.jp) 


5. 都市の環境を育むために 
  ホワイトタウン名古屋にも、熱田の森や東山公園や相生山緑地などいくつかの緑地が点在します。これらの点を線で結び広げていくことは可能でしょう。そのためには、街路樹の育成と河川の緑化が肝要です。下の写真のように、弥富公園の桜並木や山崎川下流の保存風景を見れば、その価値がよく分かります。桜だけの樹種では問題ですが、道路や河川の空間を活用して、自然更新が可能な植物帯を線状に繋げることは可能でしょう。臨海埋め立て地の工場地帯でも、自然緑化が進んでおり、5メートル以上の幅(住宅街の道路幅=6m)があれば、コストのかからない自然更新可能なグリーンベルトが形成できるので、意識の高い企業キャンパスで実現しつつあるという(宮脇昭先生談)。万博跡地にも是非このような森を再生して欲しいものです。  河川の堤防も、大きな空間です。洪水防止という単一の目的だけではなく、渓流の流れを再現できるようなデザインを考えていくべきでしょう。次ページの、山崎川の新(手前)と旧(遠方)の堤防の比較で、どちらが環境に役立つかは明瞭です。是非、旧の堤防を残し、川の流れにも生物たちの住みかをつくって、渓流を再現して欲しいものです。


  この写真では、改修した新しい堤防がコンクリートで固められたため、向こう側の古堤防より環境が悪化しています。時々川面を観察すると、川底に変化の多い向こう側の方が魚が豊富で、それを狙う鷺をよくみかけます。

6. 日常生活の科学的合理性の考察 
 和風価値観の復権: この節は、科学的根拠に基づくものではなく、私的な歴史観、文化論的話題です。
 中国大陸7000年の歴史とそれを手本にした日本文化の歴史は、大部分、東アジアの気候風土に根ざした文化であります。NHKの大河ドラマでもしばしば取り上げられる、奈良・平安・戦国・江戸とつながる日本文化醸成の歴史は、単に人間が主観的に形成してきたものではなく、気候風土や資源の変遷などの影響を受けて醸成されてきたものであると思います。居・食・住の文化は、この気候風土に適した合理的な生き方を集積してきたものと言えます。時間をかけて醸成された自然のネットワークが合理的にできあがっているのと同様に、そこには、省エネルギー的で合理的なものがたくさんみつかります。おふくろの味に象徴されるような、発酵醸造調味料を有効に使う野菜の料理、衣料では、世界に誇れる和風の繊維と染色技術、住では、遷宮に代表されるような、更新可能な天然素材の立て替え住居、何れもこの地の風土に合った合理的なものばかりです。明治以来の欧州文化への崇拝と、第二次大戦後のアメリカ的価値観へのあこがれが、伝統的和風価値観を下落させました。しかし、近年、欧州や米国の識者が和風文化を評価しはじめたこともあって、和風の価値観が復権しつつあります。実は、この和風価値観が、自然環境を語るとき大変重要です。東アジアの気候風土に根ざしたものの考え方がこの地の自然を相手にするときに合理的だからです。衣食住のスタイルが、その資材を供給する農林業を育み、それが環境問題の持続的改善にもつながるからです。一例を挙げましょう、欧米の客人にご馳走する割子弁当では、いつも「何種類の生物」が食材に入っているかを数えてもらいます。わずか30cm角の弁当箱に、30〜50種類ぐらいの生物が食材として使われています。大抵の客人はこの豊かな食文化に感心します。この地の生物の豊かさを反映したものだと思います。大切にしたいものです。

7. おわりに
  本講義では、すでに定着したリサイクルや省エネルギーには触れませんでした。リサイクルや省エネルギーは当然必要です。しかし、それだけでは自然環境の劣化を防ぐことはできません。積極的な自然の回復に効率的にエネルギーをつぎ込む必要があります。それには、植物の成長能力を最大限に活用した合理的な手法が必要だと思います。
  今回は取り上げませんでしたが、海の浅瀬の環境問題も重要です。特に二酸化炭素の吸収問題では、珊瑚礁や貝殻が死滅し、それに加えて山の石灰岩が酸性雨で溶解して海に流れ込むことが大気と平衡関係にある二酸化炭素問題に深刻な影響を与えそうです。
  自然の環境は、大気と水と土壌を介して、植物や動物たちを緊密につなげています。この「自然の環」を、これ以上断ち切ることがないように、リサイクル・省エネルギーも進める必要があります。人が一旦その環を断ち切ると、雪崩のように崩壊が進むことが懸念され、修復不能に陥る可能性もあります。
  ダイオキシンや環境ホルモン類に代表される環境汚染物質や農薬や食品添加物を含めた人体に入る薬品類、自然には容易に分解されない人工化学物質などの問題も深刻です。これらの物質は、次々と合成され、宣伝され、使われては、毒性が問題となりやがて製造中止になる歴史を繰り返しています。これらの毒性物質の問題が環境問題の中心的課題として取り上げられることが多いのですが、これらの問題は高々数十年の歴史で、解決策も比較的容易です。これに対して、今回話題にした「植物を基盤とした自然のネットワークの破壊」問題は、50年から100年単位の時間を要する難題であります。それ故に、グローバルな活動も、市民活動も、日常生活も絶え間なく継続していく必要があり、残念ながら、即効薬に期待することはできないと思われます。

 

講師紹介                                  
たにもと えいいち
谷 本  英 一
最終学歴:大阪市立大学大学院理学研究科博士課程修了(1971)、理学博士
1971年名古屋市立大学教養部生物学科助手、同講師、同助教授、同教授を経て、
2000年〜 同大学院システム自然科学研究科生体制御系教授。この間、1977年スイス・ローザンヌ大学および1978年米国・アイオワ州立大学にて在外研究
最近の研究テ−マ:植物(特に根の)成長生理学・植物ホルモンと環境要因による植物の成長制御研究、植物細胞壁の物性制御機構の研究
本学での担当講義:「植物生命科学」、「環境科学」、「バイオサイエンス」(教養教育)、「生体機能論」、「成長制御論」(大学院システム自然科学研究科)
学外活動:名古屋市消費生活センターおよび名古屋市環境学習センター講師(平成12〜14年度)、日本「根」研究会会長(平成14年〜17年)
著書等:「植物の生命科学入門」(培風館・共著)、植物ホルモン入門(オーム社・共著)、
  (総説)根の細胞壁粘弾性と成長制御(農業および園芸)、(解説)クリープ測定による根の細胞壁の粘弾性解析(日本バイオレオロジー学会誌)など

 

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