ウイルスの分子進化学的研究
当研究室では、集団遺伝学・分子進化学の流れを汲んだウイルスの進化学的研究をおこなっています。これまでに当研究室で得られた知見を以下にまとめます

ロタウイルスの進化
ロタウイルスは進化の過程で、遺伝子再集合を頻繁に起こす
(Suzuki et al., J. Clin. Microbiol. 1993)

ロタウイルスは進化の過程で、分節内組み換えを起こすこともある。とくに、キジロタウイルスのVP4遺伝子分節であるP[37]遺伝子型は、鳥類ロタウイルスと哺乳類ロタウイルスの遺伝子型間の分節内組み換えによってできたと考えられる
(Suzuki et al., FEBS Lett. 1998)
(Suzuki et al., Gene Rep. 2024)

ロタウイルスの11本の分節それぞれで系統樹を作成して分節間でshared clustersを同定し相対的な数を比較することにより、VP2はVP1だけでなくVP3とも相互作用していること、NSP5/6分節はバンドリングシグナルのハブであること、VP7やVP4は他の分節と遺伝子再集合を起こしやすいが、VP7, VP4, VP6は組合さってビリオンを形成するため遺伝子再集合が抑えられていること、VP4とNSP1は協働して宿主域を決めていること、Rotavirus Aは単一種であることが示唆された
(Suzuki et al., Gene Rep. 2024)

ノロウイルスの進化
ノロウイルスのゲノムには、5'端から3'端にかけてORF1 (RdRpをふくむ非構造タンパク質をコード), ORF2 (メジャーなカプシドタンパク質VP1をコード), ORF3 (マイナーな構造タンパク質VP2をコード) がならんでいる。ORF1とORF2の間には組換えホットスポットがあるため、ノロウイルスはRdRp遺伝子型P-types (GI.P1-GI.P14, GII.P1-GII.P41) とVP1遺伝子型genotypes (GI.1-GI.9, GII.1-GII.27, GIV.1-GIV.2) に分類されている。本研究では、まずIASRに報告されているシーズンごとのgenotypesの割合はINSDに登録されているgenotypesの配列数と正に相関していることが示された。また、ゲノム組換えでgenotypesがあらたなP-typesを獲得したときには、genotypesの割合が上昇する傾向があることが明らかにされた
(Suzuki, Meta Gene 2021)

ノロウイルスGII.4について、株間の抗原性の相違度である抗原距離を、VP1のアミノ酸配列の相違度から予測するための抗原距離モデルを構築した。抗原距離の予測精度は抗原サイトA, C, D, E, Gのアミノ酸配列を用いた場合に高くなったが、ほかのアミノ酸サイトを考慮に入れることで予測精度が上昇することがあり、抗原距離の予測にはVP1全長を考慮に入れた抗原距離モデルを構築することが推奨された
(Suzuki, Gene Rep. 2022)

インフルエンザウイルスの進化
インフルエンザ A 型ウイルスは自然宿主のカモでヒトやブタよりも進化速度が約 10 倍遅い。また A 型ウイルスの 16 種類のヘマグルチニン亜型の最も古い分岐年代は約 2,000 年前、A 型と B 型ウイルスの分岐年代は約 4,000 年前、A・B 型と C 型ウイルスの分岐年代は約 8,000 年前と推定された
(Suzuki and Nei, Mol. Biol. Evol. 2002)

インフルエンザウイルスのヘマグルチニンには、進化の過程で正の自然選択が断続的でなく連続的に働いてきたことを示した
(Suzuki, Gene 2008)

ヒトインフルエンザウイルスでは、ヘマグルチニンに付加された糖鎖は抗体の中和抗原座位への結合を阻害して免疫逃避を促進させるためウイルスの生存に有利に働き、進化の過程で糖鎖付加部位が増加してきた。一方、ヘマグルチニンに糖鎖が付加されるとウイルスの宿主細胞への吸着も阻害されてしまうが、ヘマグルチニンの正電荷を上昇させることによって吸着効率を補償してきた。
(Kobayashi and Suzuki, J. Virol. 2012)
(Kobayashi and Suzuki, PLoS ONE 2012)
(Suzuki et al., Meta Gene 2021)

ポリオウイルスの進化
ポリオウイルスは真猿類にだけ感染するが、それはポリオウイルスの受容体であるCD155に真猿類の祖先で正の自然選択が働き、その副作用としてポリオウイルスが結合できるようになったからである
(Suzuki, Gene 2006)

麻疹ウイルスの進化
麻疹ウイルスのヘマグルチニンと受容体である SLAM のドッキング・シミュレーションから、ドッキング・スコアと SLAM の受容体としての機能の間には正の相関があることが分かり、ウイルスの種間伝播による新興・再興感染症の発生の予測にウイルスの受容体結合タンパク質と受容体候補分子のドッキング・シミュレーションが有用であると考えられた
(Suzuki, Microbiol. Immunol. 2017)

ウイルスの進化予測
ヒトインフルエンザ A 型ウイルス H3N2 亜型について、株間の抗原性の相違度である抗原距離をアミノ酸配列の相違度から予測する抗原距離モデルを構築し、インフルエンザウイルスの進化においては、抗原性を大きく変化させるように自然選択が働いていることを示した
(Suzuki, Genes Genet. Syst. 2013)

ヒトインフルエンザ A 型ウイルス H3N2 亜型について、抗原距離モデルを適応度モデルに統合することにより、次シーズンの流行における感染予防に有効なワクチン株を予測できるシステム INFLUCAST を構築した
(Suzuki, Meta Gene 2015)

ノロウイルスには多くの遺伝子型があり、毎年複数の遺伝子型が組成を変化させながらヒトに感染している。そのためノロウイルスに対するワクチンは、次シーズンに流行すると考えられる複数の遺伝子型に属するウイルス株を組合せて作成する必要があると考えられる。そこで、ノロウイルスについて次シーズンにおける遺伝子型の頻度の変化を予測できるシステム NOROCAST を構築した
(Suzuki et al., Microbiol. Immunol. 2016)

ノロウイルスのVP1遺伝子型頻度を予測するためのシステムNOROCASTでは、前シーズンの頻度が0である場合や前シーズンの配列データない場合には次シーズンの頻度を予測できなかったが、前シーズンの頻度が0である場合には最低頻度より小さい任意の値で代替することにより、前シーズンの配列データない場合にはさらに前後のシーズンの配列データで代替することにより、頻度の予測が可能になることを示した
(Suzuki et al., Front. Microbiol. 2019)

日本のノロウイルスシーズンにおけるGIとGIIの主要な2遺伝子型を予測するために、ゲノム組換えによるあらたなP-typeの獲得、遺伝子型特有の増殖効率、集団免疫を考慮に入れて次シーズンにおける遺伝子型割合を予測するモデルを構築した。集団免疫の持続時間を0−10年と仮定し、それらをもとに予測された主要な2遺伝子型の和集合を取ることにより、高感度で主要な2遺伝子型を予測できることが示された。
(Suzuki, Life 2023)

パッケージング・シグナルの探索
高分節型ウイルスにおけるバンドリング・シグナルの候補領域をゲノム配列解析から探索するために、種間共進化相違を含む相補的塩基配列領域を検出する方法を開発し、さまざまなウイルスについてバンドリング・シグナルの候補領域を同定した
(哺乳類・鳥類ロタウイルス) (Suzuki, Genes Genet. Syst. 2014)
(ヒトロタウイルスWa・DS-1) (Suzuki, Microbiol. Immunol. 2015)
(青舌病・流行性出血病ウイルス) (Suzuki, Genes Genet. Syst. 2016)
(トリ・コウモリオルソレオウイルス) (Suzuki, Meta Gene 2018)
(インフルエンザ C 型・D 型ウイルス) (Suzuki et al., Gene Rep. 2020)
高分節型ウイルスにおけるバンドリング・シグナルの候補領域をゲノム配列解析から探索するために、種内共進化多型を含む相補的塩基配列領域を検出する方法を開発し、さまざまなウイルスについてバンドリング・シグナルの候補領域を同定した
(哺乳類・鳥類ロタウイルス) (Oshima et al., Gene Rep. 2022)

インフルエンザウイルスのゲノム分節の両端は相補的でパンハンドル構造を取ることが知られているが、A 型インフルエンザウイルスにおいてはノイラミニダーゼ遺伝子の両端は相補性を保ちながら共進化しており、さらに遺伝子組み換えを起こした痕跡が見られた
(Suzuki and Kobayashi, Infect. Genet. Evol. 2013)

インフルエンザウイルスにおいては、PB2 分節の vRNA の 5' 末端は保存性が非常に高く、同義置換や欠失が強く抑制されていることが知られているが、この領域には vRNA 特異的に保存性の高いステム-ループ構造が形成されると予測され、パッケージング・シグナルとして機能している可能性が示唆された
(Kobayashi et al., Meta Gene 2018)

ワクチンに関する研究
ワクチンの効果が低いインフルエンザウイルス、C型肝炎ウイルス、ヒト免疫不全ウイルスでは中和抗原座位に正の自然選択が働いており、アミノ酸置換突然変異による免疫逃避が起きやすいためにワクチンの効果が低い。逆にワクチンの効果が高いポリオウイルスや狂犬病ウイルスでは中和抗原領域に負の自然選択が働いており、強い機能的制約が働いているためアミノ酸置換突然変異が許容されず免疫逃避変異体を産生できないことによりワクチンの効果が高い。同様の結果は薬剤耐性に関与するアミノ酸座位でも観察される。したがって、強い機能的制約が働いているアミノ酸座位を標的にしてワクチンや抗ウイルス薬を開発すべきである
(C型肝炎ウイルス) (Suzuki and Gojobori, Gene 2001)
(ポリオウイルス) (Suzuki, Gene 2004)

内在性ウイルス様配列の進化
真核生物の進化の過程で非レトロウイルス性 RNA ウイルスであるボルナウイルスのゲノムが挿入され維持されてきている。内在性ボルナウイルス N 様遺伝子(EBLN)は霊長類で蛋白質としては機能していなそうであるが、アフリカ獣上目では機能していそうである
(Kobayashi et al., PLoS ONE 2011)
(Kobayashi et al., PLoS Pathog. 2016)

EBLNの挿入にはLINE-1が関与すると考えられているが、リスのEBLNはLINE-1以外の機構で挿入された可能性がある
(Suzuki et al., Genes Genet. Syst. 2014)

ウイルスの進化速度
RNA ウイルスには、HIV、HCV、インフルエンザウイルスなどの進化速度が 10E-3 から 10E-4 という高速に進化するグループと、HTLV、HGV などの進化速度が 10E-6 から 10E-7 という低速に進化するグループがある
(総説) (Suzuki and Gojobori, Virus Genes 1998)
(総説) (Suzuki et al., AIDS Rev. 2000)
(総説) (Suzuki et al., Handbook of Statistical Genetics 2001)
(エボラウイルス・マールブルグウイルス) (Suzuki and Gojobori, Mol. Biol. Evol. 1997)
(G型肝炎ウイルス) (Suzuki and Gojobori, J. Mol. Evol. 1999)
(ダニ媒介性脳炎ウイルス) (Suzuki, Genes Genet. Syst. 2007)

ウイルスの分類
ウイルスの種を定義するための基準として、系統学的に単系統群であることに加えて遺伝情報の交流があるものを種とするという生物学的種概念を導入し、カリシウイルス科に属するウイルス属のゲノムを組換えホットスポットの前半と後半に分割し、前半と後半のそれぞれで作成した系統樹を比較して共通の複数株からなるクラスターをshared clustersと名づけて組換え可能な単系統群と推測し、種の候補とすることを提唱した
(ノロウイルス) (Suzuki et al., Gene Rep. 2023)
(サポウイルス) (Suzuki et al., Gene Rep. 2024)

分子進化学における統計学的方法に関する研究
分子進化学的な解析を行うためには方法を整備する必要があります。これまでに当研究室で得られました知見は以下のようになります

自然選択検出法
生物の分子進化学的研究において、タンパク質に働いた自然選択を検出することは、タンパク質やアミノ酸座位が担う機能を知るためにも、機能と自然選択との関係を知るためにも重要と考えられます。私たちは以下の方法を開発しました。
(コンピューター・プログラム) (Suzuki et al., Bioinformatics 2001)
(総説) (Suzuki and Gojobori, The Phylogenetic Handbook 2003)
(総説) (Suzuki, Genes Genet. Syst. 2010)

タンパク質の個々のアミノ酸座位に働く自然選択を検出できる統計学的方法
(最大節約法) (Suzuki and Gojobori, Mol. Biol. Evol. 1999)
(最尤法) (Suzuki, J. Mol. Evol. 2004)

個々のアミノ酸座位において、アミノ酸の性質を変えない置換(保存的置換)と変える置換(非保存的置換)それぞれに働く自然選択を独立に検出できる方法
(Suzuki, Mol. Biol. Evol.. 2007)

タンパク質の立体構造中に3次元のウインドウを開き、そこに含まれるアミノ酸座位を表面に露出しているか内部に埋もれているかで分類しながらグループ化して自然選択を検出できる「3次元ウインドウ解析法」
(Suzuki, Mol. Biol. Evol.. 2004)

系統樹上で時間の幅としてウインドウを開き、そこに含まれる枝について自然選択圧を検出することによって自然選択の時間的変動や一時的に働いた自然選択を検出できる「系統樹ウインドウ解析法」
(Suzuki, Open Evol. J. 2008)

CpGジヌクレオチドにおける高突然変異率の効果を考慮に入れた自然選択検出法
(Suzuki et al., Mol. Biol. Evol.. 2009)

個々のアミノ酸置換に働く自然選択を検出できる方法
系統樹の外部枝と内部枝の間で非同義置換/同義置換比を比較することにより自然選択を検出できる方法
(Suzuki, Genes Genet. Syst. 2011)

異なる読み枠でオーバーラップした遺伝子に働く自然選択を個別に検出できる方法
(Suzuki, Mol. Biol. Evol. 2006)

タンパク質にはたらく構造的制約を排除して自然選択を検出できる方法
(Suzuki, Infect. Genet. Evol. 2013)

自然選択検出におけるベイズ法は、正の自然選択検出における偽陽性率が高い
(配列解析) (Suzuki and Nei, Mol. Biol. Evol. 2001)
(配列解析) (Suzuki and Nei, Mol. Biol. Evol. 2004)
(配列解析) (Suzuki, Gene 2004)
(コンピューター・シミュレーション) (Suzuki and Nei, Mol. Biol. Evol. 2002)
(コンピューター・シミュレーション) (Suzuki, Genes Genet. Syst. 2008)

自然選択検出においてコドン配列の多重整列を作成するときに、アミノ酸の多重整列をコドンに逆翻訳すると正の自然選択検出における偽陽性率が高くなることを明らかにした
(Suzuki, Genes Genet. Syst. 2011)

系統樹作成法
系統樹作成におけるベイズ法は、内部枝の信頼性を過大評価する傾向がある
(Suzuki et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA 2002)

遺伝子再集合検出法
分節型ウイルスの進化の過程で起こった遺伝子再集合の痕跡を大量のゲノム配列データの解析から効率よく検出できる方法として、4 株ずつランダムにサンプリングしながら系統樹解析を行うカル テット法を開発した
(Suzuki, Gene 2010)

配列削除法
大量の配列データがある場合に、配列データにふくまれる進化学的なシグナルをなるべく失わないようにしながら配列を減らす方法を開発した
(Suzuki et al., Meta Gene 2020)

多重整列作成法
大量の配列データがある場合に、短時間で効率よく多重整列を作成するための方法を開発した
(Suzuki, Meta Gene 2020)