インド訪問(共同研究)

インド研究訪問2

第11回イネファンクショナルゲノミクス国際会議に参加

2013年11月19日〜11月27日

 インドを再度訪れました。今年は2月に続いて2度目の訪問でした。目的は11月20日から23日に開催された国際会議に出席するためです。日本学術振興会とインド科学技術部(DST)の資金サポートによる二国間共同研究に関連して、イネの研究を発表してきました。

国際会議参加詳報

11th International Symposium on Rice Functional Genomics (ISFRG)

インド・ニューデリー(2013.11.20-23)

DSC01995.JPGホテルグランデの会場 国際会議は、デリー・インディラ・ガンジー・国際空港の近くに位置する五つ星ホテルのホテルグランデが会場で、とても快適なところでした。気候は日本とは違って、昼間は25度近くにまで上がり、湿気も少なく虫もほとんどいないのででとても爽やかな季節で、国際会議のほとんどはこの時期に行われるのだそうです。大会組織委員会は、インドの国立植物ゲノム研究所(NIPGR)とデリー大学サウスキャンパスで、デリー大学の先生には、ここ数ヶ月は本当に多忙だったと聞かされました。

 毎年各国持ち回りで開かれる学会ですが、今回のテーマは Sustaining Food & Nutritional Security(食料持続と栄養の安全)です。つまり、重要な食料としてのイネの将来について、分子生物学、分子育種、ゲノム科学等の専門家が最新の知見を持ち合い、議論を重ねることが目的でした。僕も、イネの新規長鎖ノンコーディングRNAの探索研究についてポスター発表させていただきました。日本とは違って、多くの研究者の方々に質問され、興味も持っていただきましたので、参加してとても有意義でした。

 この学会に参加して特に感じたのは、食の安定供給に関わる切実感で、日本に居ては決して感じることのできない感覚でした。インドでは、気候や病害虫によってイネ収穫の損失が大きく、実際に死者も多数出ている現実があります。更に、人口増加も著しく、イネを含むの穀物研究に多額の資金が出されています。それらの多くが、いかに乾燥や高温、病気、害虫に耐え、収穫量を高められる作物を作るかといった研究に集中しています。例えば、マングローブの遺伝子をイネに加えて海水で育つイネを作るとか、C3植物であるイネをC4植物に改良して光合成活性を向上させる研究、45℃以上でも元気に育つイネを作る研究などが印象に残りました。45℃というとあり得ない温度の様な気がしますが、インドでは普通のことだそうです。

 しかしインドでは現在、遺伝子改変植物(GM植物)の栽培はBTコットン以外は認められていません。研究者達は、将来に向けて今から基礎研究に精を出しているのです。このような必死さに対して、我々日本人はいささかのんびりしています。それは、コンスタントに雨が降り、気温の上昇もそれほどではなく、被害といえばたまに台風が来るぐらいの、とても恵まれた環境に我が国が位置しているからです。さらに、たとえ収穫量が低い年があっても、いくらでも海外から買ってくる経済力があります。遺伝研のイギリス人研究者も本国では同様であると言っていました。我々も、危機感を持って世界に貢献できる研究を進めるべきと感じました。

エキビジション(Cultural Evening)

DSC01985.JPG伝統舞踊のオディッシー 学会3日目の夕方には、エキビジションとして伝統音楽とインド舞踊が催されました。それまで、タイトなスケジュールで会議が進行されてきましたので、とても優雅でエキゾチックな伝統芸術に触れることができ、大変満足しました。音楽は、弦楽器のシタール、横笛(バンスリ)、太鼓による楽器演奏で、30分にわたる演奏でしたが、徐々に盛り上がりジャムセッションを聞いているような感動を覚えました。
 インド舞踊は、オディッシー(写真)とカタックと呼ばれる2種類が披露されました。それぞれがまた30分ぐらい踊り続けます。インド舞踊を調べてみると、3千年以上つづく世界最古のダンスであるらしく、中国の京劇、日本舞踊にも影響を与えているそうです。多様な手の形にそれぞれ意味があり、神に捧げる秘密の踊りが現代に伝わっているのです。とってもインド的ですばらしいの一言でした。

DSC01980.JPG民族衣装をまとった学生さん達 共同研究者のサンジャイ・カプールさんのラボの学生さんと、ミーヌ婦人のラボの学生さん達が集まって来てくれたので、記念写真を一緒に撮りました。男性はテクノロジー系の大学へ進むことが多いので、ライフサイエンスの研究室は女性比率が高くなります。伝統衣装をまとった彼女達はとても美しいばかりではなく、普段はとても高度な分子生物学をこなしています。皆が、3カ国語ぐらいを軽くこなしますので、日本人とは訳が違います。日常会話も英語とヒンディー語等がシームレスに入り交じっています。日本の英語教育では、世界に打ってでられないなと思いました。

ついでのインド観光

バングラサーヒブ寺院

DSC01958.JPG聖域の外側で記念写真、お寺の上部が純金です デリー市内にあるシーク教のお寺です。シーク教とヒンズー教は関連が深く、ヒンズー教の人でもこのお寺に参拝しますし、その逆もあるそうです。ご覧のようにお寺の上部が金色に輝いております。日本の金閣は金箔張りですが、こちらは金プレートが貼ってあります。中に入ると祭壇中も金ぴかです。かつては全て金張りだったそうですが、イギリス統治時代に失われたのでお賽銭で徐々に戻しているそうです。実は、パキスタン国境の近くのアムリトサルという町には、奇跡的に盗難を免れたハリマンディル・サーヒブというシーク教の総本山があり、こちらはリアルなゴールデンテンプルです。

 全く観光地化されておらず、敬虔な信者の集まるまさにパワースポットです。中に入るには靴を脱いで裸足になります。靴の預け所の運営は完全なボランティアです。小麦粉と油でできたお供え物を買って、半分は寄付します。それらを祭壇にあげ、お祈りを済ませたものを出口でまたもらいます。味は、油っこい黄粉のようでした。

 中では、ご神体の本に書かれている内容を24時間体制で読み上げています。布などを持ち寄ってそれをご神体にタッチさせて、それを持ち帰って家で祀るそうです。24時間開きっぱなしで500年続いていると聞いてスケールの大きさを感じました。聖域は写真撮影禁止なので、中にある池の風景などは記録できませんでしたが、沐浴すると病気が治るらしく、大きな鯉がいっぱい泳いでいました。

街路樹

DSC02008.JPG管理番号の書かれた街路樹 デリー市内の街路樹には必ずペンキで番号が書かれています。これには全て記録台帳があって、厳重に管理されているそうです。デリーでは木を切ることが一番悪いことで、徹底されています。木を切ると砂漠になってしまうことを昔から知っていたのです。木の種類は全く分かりませんが、全然雨が降らなくても、砂をかぶっていてもみな生き生きとしています。全て巨木ですごい生命力です。実はデリーは緑に溢れています。


クトゥブ・ミナール(Qutb Minar)

DSC02033.JPGクトゥブ・ミナールの遠景 デリー市の南にあるイスラム教の遺跡で世界遺産です。デリー大学の研究室からも見ることができたのですが、ただの塔だと思っていましたが大間違いでした。近くに行ってみると石の装飾がすばらしいことに気付かされました。周りにモスクがあったらしいのですが、それらは過去の地震で崩壊しています。しかしこの塔は立派に残っています。高さは72メートルあって、過去のイスラム王朝が何代にも渡って建立した物で、約700年以上そびえ立っています。上2段が大理石でできています。昔は上まで上ることができたそうなんですが、今は禁止されています。


DSC02074.JPGクトゥブ・ミナールの拡大写真、彫刻が綺麗です クトゥブ・ミナールは近づけば近づくほどその存在感を増します。彫刻の緻密さは見事です。作っては崩壊を繰り返して、3代目でやっと完成させたのです。周りのモスクは、元々あったヒンズー教の寺院を壊して作った物なので、イスラム形式ではないオリジナルの装飾が残っていたりします。

 インドでも11月は修学旅行シーズンらしく、沢山の子供達が訪れていました。彼たちは日本人がとてもめずらいしらしく、じろじろと見られましたが、悪い気はしませんでした。


DSC02104.JPGアライ・ミナール、作りかけで廃墟ですが、大きい クトゥブ・ミナールの隣には、更に2倍の高さになったであろうアライ・ミナール(Alai Minar)が廃墟として存在しています。底面積はクトゥブ・ミナールの倍の大きさです。これを完成させるまで、王朝が続かなかったということです。何かバビロンの塔のようです。

 現在はヒンズー教が主流となりましたが、イスラム教の人も居て、みなが誇りをもって過去の遺跡を保存しています。インドの人たちの寛容力を感じます。

デリーの鉄塔

DSC02088.jpg1500年錆びない奇跡の鉄塔 クトゥブ・ミナールの敷地内にある何気ない鉄塔ですが、実は1500年間何も手を加えなくても錆びずにそびえ立っています。デリーでも雨は降りますし、冬は毎日霧がかかりますので、まさに驚異的です。これぞオーパーツ(発見された場所や時代にそぐわないテクノロジーで作られた物)です。高さは約7メートルで、中程にサンスクリット語の碑文が刻まれています。鉄の純度が高いことが知られていますが、それだけが錆びない理由ではなさそうです。以前は自由に触れたらしいのですが、現在は痛みがすすんだために簡単な柵で囲まれています。


インドの薬袋

IMG_2722.JPGインドの病院でもらった薬袋 学会に出席するために今回訪問したインドですが、帰り間際に熱を出しました。インドに向かう前から大学の仕事で疲れ切っていましたから、抵抗力も落ちていたんでしょう。結局、全くの予定外ですがインドの病院視察を行って参りました。新しく立派な病院ですが、訪れる患者はそれほど多くはありません。皆さん身体が丈夫なのでしょう。注射の痛いのと、薬袋がしゃれているのが印象的でした。

 お医者さんはしっかり診察してくれましたが、抗生剤をすぐには出してくれません。一日様子をみて、各種検査をしてから抗生剤を処方するのが常のようです。何かあったら、いつでも直接電話してとお医者さんが言っていました。インドは電話社会です。